電力が作れない 反対派の正義

 現在日本では、どのように電力を作るか?その方法ごとに、異なる正義による反対運動が起きています。

 原子力発電に対する反対は、事故への不安といった正義があります。他に、捨て場がないのに増え続ける放射性廃棄物、破綻しているのに止められない核燃料サイクル、処理できないのに増え続けるプルトニウム、さらに、ウランの採掘と製錬過程における環境問題や人権問題などに対する正義などがあります。

 石炭火力発電については、神戸市で地球温暖化を加速させる石炭火力発電所の建設計画について、発電所の建設と稼働の差し止めを求め、訴訟となっています。
(https://kobeclimatecase.jp/)
 地球温暖化への懸念から二酸化炭素排出に反対する正義になります。

 近年では、クリーンなエネルギーとされる太陽光発電や風力発電でも各地で反対運動が起こっています。
 例えば、宮城県丸森町耕野(こうや)地区では、森林伐採を含むメガソーラー計画に対し、住民が反対運動を展開しています。理由は土砂崩れや水害といった災害リスクが増大する懸念や、水資源の確保のためです。
(https://kumamori.org/topics/kumamori-news/20220625.html)
 また、山形県鶴岡市では、自然への影響を懸念し、風力発電所計画に対して市が中止を申し入れました。
(https://www3.nhk.or.jp/lnews/yamagata/20230201/6020016608.html)
 環境破壊や災害リスク増大に反対する正義になります。

 反対派は自らの主張が正しいと思うからこそ、その発電方法に反対しているのでしょう。原子力、石炭火力、そして太陽光や風力発電いずれにも反対派の正義があります。

 では、全ての正義が正しいとして、その正義をすべて受け入れたならどうなるでしょう?
 結果を想像することは容易です。大規模な電力不足となります。

 考えられる解決策は、2023年1月9日付のブログ「電力消費を抑えた社会実現の可能性」を参考に考えると、1984年以前の生活に戻ることです(下図)。原子力も石炭火力も、太陽光も風力も使わない発電で賄う社会です。

図) 日本の発電電力量の推移
(https://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2020html/2-1-4.html に加筆)

 しかしながら、いずれの反対派の人たちも、インターネットがない世界、もちろんスマホやオンデマンド配信がない世界に戻ることには賛同しないでしょう。

 なかには、イノベーション(技術革新)によって克服できると主張する人がいるかもしれません。
 しかし、太陽光や風力発電といったイノベーションは、環境を破壊すると反対されています。
 また、電力消費が白色電球の5分の1とも6分の1ともいわれるLED電球ですが、使用量が増えればせっかくの省電力効果はなくなってしまいます。昔はほとんどなかったイルミネーションが、今では日本各地に広がっています。それだけでなく、個人宅でも行われています。

 より多くの電力を消費したい!といった人間の欲望のほうが、イノベーションの進歩より勝るようです。
 また、電力消費の抑制に対しては、経済活動への悪影響を懸念する声も上がるでしょう。

 一方、どの正義がより正しいのか?を競うことは、問題の解決にはならず、むしろ分断や対立を深めることになってしまうと考えます。
 解決策が見出せません。

2023年02月03日