昭和南海地震と海鳴り

 11月5日は「世界津波の日」です。2015年12月の国連総会において制定されました。日本ではこれに先立ち、東日本大震災後の2011年6月に「津波防災の日」に制定しています。
 ではなぜ、11月5日なのでしょうか。これは、嘉永7(1854)年11月5日に発生した「安政南海地震」に由来します。津波から村人の命を救った話「稲村の火」は、この地震津波を題材にしています。

 今回は津波の日にちなんで、1946年昭和南海地震にまつわる話を紹介します。ソースは、磯田道史著『天災から日本史を読みなおす』中公新書 になります。
 文化勲章も受賞した俳優の森繁久彌さん(故人)は、徳島県海陽町でこの地震に遭遇しています。その体験談がこの本に載っています。
 地震のあった夜、森繁さんは宴の最中に地鳴りのようなものを感じました。そして、二、三度周囲の人に「地震じゃないの?」と尋ねましたが、「ありゃァ、海鳴りですよ」と軽く片づけられた、と『森繁自伝』にはあるそうです。そして後日、この海鳴りは地震の前触れだったと解釈したようです。

 大地震前の海鳴りについては、2022年10月17日のブログ【再考】3.11(東日本大震災)前の動物異常行動(5) 海鳴りとキジ、でも取り上げました。
 今回の森繁さんの回想録から推測されることは、海鳴りは、実は数多く発生しているのではないか、ということです。
 明記されてはいませんが、「ありゃァ、海鳴りですよ」と返答したのは、おそらく地元の人でしょう。深刻に捉えていなかったということは、海鳴りは時々あるもので、何か不吉な出来事の前触れのようなものではない、と思っていたから軽く片づけたのではないでしょうか。

 もうひとつ、森繁さんは、もしかしたら、海鳴りをこのとき初めて体験したのかもしれません。地元の人にとっては珍しくない現象(ここでは海鳴り)も、それを初めて体験した人にとっては、そして大地震と大津波があったなら、その現象は異常な出来事で大地震・大津波の前触れと思ってしまうかもしれません。
 人の一生はせいぜい100年です。地震という人類が誕生するはるか昔からある自然現象のことを、たった100年ぽっちの個人的な体験から解釈しようとすること自体、無理があるのではないでしょうか。

2022年11月07日