伝承があだとなった津波

 『日本海中部地震の記録 被害概況と応急対応』(昭和59年,秋田県)といった書物を読む機会がありました。
 日本海中部地震は、1983(昭和58)年5月26日正午ごろに発生しました。この地震では津波が発生し、津波で83名の方が犠牲になりました。

 津波犠牲者が最も多かった能代市は、後日アンケート調査を行っています。
 「地震発生後に津波が来ると思いましたか」の問いに対して、「はい」は 266人で15%だったのに対し、「いいえ」は1,474人で82%にものぼりました。

 能代市は海に面しているまちです。にもかかわらず、8割以上の市民が、大きな揺れの後に津波を連想しなかったのです。太平洋側の三陸地方では考えられないと思います。

 日本海中部地震の10年後には、県民防災フォーラムが開かれました。それを記録した『地震と津波を考える〜あれから10年、あなたは大丈夫か〜』(平成5年,秋田県)に、その答えと思われる記述がありました。

 なんと「日本海側には津波は来ない」といった伝承があったのです。さらに、男鹿半島では「地震が起きたら山ではなく海に逃げろ」といった伝承があったのです。

 男鹿半島では1939(昭和14)年5月1日に、最大震度6の地震がありました。男鹿半島ではこの地震により、山崩れやがけ崩れが数多く発生しました。この経験から「地震が起きたら山ではなく海に逃げろ」といった伝承ができたと考えられています。

 「日本海側には津波は来ない」については、津波で犠牲者が出た地震が、当時から150年ほど前の1833年庄内沖の地震まで遡ってしまいます。
 実体験に基づいた伝承が何年続くかについて、祖父母の代から孫の代までと考えると、せいぜい60年くらいです。したがって、150年も前のことが伝承されなかったのではないかと、このフォーラムでは語られていました。
 また、1964(昭和39)年の新潟地震では、津波があったものの死者が出なかったことから、津波があったこと自体が忘れ去れてしまった可能性がある、と指摘していました。

 地震や津波の伝承は、日本各地にあります。また、伝承には何らかの事実が含まれていると考えられます。
 ただし、その事実から導かれた「教え」が必ずしも正しいとは限らない、と日本海中部地震にまつわる伝承は教えています。

2025年02月08日