地震で「備え」より「予言」を検索

 先日たまたまNHKのニュースを見ていたら、地震予言を扱っていました。
"地震で「備え」より「予言」が… 不安あおる“デマ” 徹底検証" 2025年12月27日午後5時24分
(https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015014311000)

 青森県東方沖で発生したマグニチュード7.5(最大震度6強)の地震後となる12月9日から15日にかけて、インターネット上で検索されていたワードをNHKとLINEヤフーが調査したところ、後発地震注意情報の対象地域では特徴的なワードが検索されていた、とのことです。

 例えば、青森県八戸市では12月9日の検索頻度第3位が「予言」でした。「後発地震とは」(第9位)よりも高い頻度で「予言」が検索されていたというのです。また、「予言」といったワードは12月12日にも第3位でした。

 そして、12月13日には「2025年12月21日予言」が第6位となっていました。
 「大地震の後には、必ずといっていいほど次の地震予言が発生する」といった地震流言の経験則は、今回も当てはまっていたことになります。

 また、この記事によれば、「NHKが分析したところ、科学的根拠のない「予言」や「予知」に関する動画は10月以降だけで少なくとも1200本あり、あわせておよそ2600万回再生されており、10万回以上再生されている動画も50本以上あった」というのです。

 原始時代の人類の生存戦略を考えた際、脅威や危険を見逃すことは命取りになったと想像できます。一方、過剰な警戒心は、例えそれが誤った警戒(警戒する必要がなかった)だったとしても、命取りにはなりません。
 このような経験を重ねて、もしかしたら、人類には「過剰な警戒心のほうが、身に迫る危険を見逃すより生存には有利」といった本能?が備わったのかもしれません。

 この仮説に従うなら、科学的根拠のない「予言」や「予知」に関心を抱く人が一定数いることも納得できます。そして、現代社会ではそういった人の不安に付け入って、金儲けをしようとする人が一定数いることも忘れてはいけません。

 「予言」を信じるのは個人の自由ですが、他者へそれを押し付けたり善意の拡散をしたりすることは、厳に慎むべきです。

2025年12月22日